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お尻を蹴った2つの事件から学んだ、人間の器と信頼関係のちがい

お尻を蹴った2つの事件から学んだ、人間の器と信頼関係のちがい

最近、似たようでまったく違う「蹴る」という出来事を2つ耳にしました。ひとつは地域の祭りで、もうひとつは中学校の部活で起きた話です。どちらも「怒りに任せて蹴った」という点では同じですが、結果や印象は大きく異なりました。この2つの事件を比べたとき、僕の中で「人間の器」や「信頼関係の深さ」について考えさせられました。

事件その1:祭りの現場での“蹴り”

ある地域の祭り準備で、60代の責任者と副責任者が対立しました。副責任者は動きが悪く、言われたことをやらない状況が続いていました。

危険な屋台運行を前に、責任者はつい怒りを爆発させてお尻を蹴ってしまいました。子供も関わる現場だけに、事故を未然に防ぐためという意図もあったようです。

しかし、副責任者はこれを「障害事件だ!」と主張し、最終的に責任者は追放。その後も「絶対に許さない」と主張を変えていないとのことです。

事件その2:中学校の部活動での“蹴り”

一方、中学校の部活動でも同様の出来事が起きました。中3の部長が、中2の部員に対してお尻を蹴ってしまったのです。

部員はふざけてばかりで言うことを聞かず、つい感情的になっての行動でした。しかし、部員のお尻の骨にヒビが入る大ケガとなりました。

それでも部員は「自分が悪い」として、部長を守るために「自分が転んでケガをした」と言い張り、真実を明かしませんでした。顧問や親が何を聞いても、ぶれなかったそうです。

同じ蹴りでも、なぜこんなに違う結果に?

2つとも暴力には変わりありません。ですが、結果は真逆。

中学生の部員は:

  • 自分の非を認めていた
  • 部長を思いやり、受験への影響も考えて庇った
  • 周囲に嘘をついてまで場を収めた

祭りの副責任者は:

  • 自分の非(指示に従わない)を認めず
  • 蹴られたことを「事件」として社会問題化
  • 「絶対に許さない」と言い続けている

年齢や経験ではなく、「人間の器の大きさ」は行動で見えてくる。
中学生の方が、状況を理解し、感情ではなく思いやりで対応していたように感じます。

まとめ:信頼があるかどうかで結果は変わる

今回の2つの事件を通して実感したのは、「信頼関係」があるかどうかで、同じ行為でも受け止められ方がまったく違うということ。

怒りをぶつけることは簡単。でも、その場に信頼があれば、指摘や叱責も「愛情」として伝わる場合がある。

逆に信頼がなければ、どんなに正しいことでも「攻撃」として受け取られてしまう。

年齢に関係なく、人間性は行動に出る。
感情をどう扱うか、他人をどれだけ思いやれるか、そんなことを考えさせられる出来事でした。

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